FATHER
このあいだ、オットの母
よし江ちゃん(甲府市在住)と
長電話しました。
戦争が終わって、
焼け野原を歩きながら、
(だけど)、と
涙しつつも
考えたそうです。
自分が死ぬまでに、
もうこれ以上
悲しいことは
起こらないもーん。
終わったんだから。
「そう思ってたのに、
この震災に
びっくりしちゃったよお」、
とのこと。
「それでもさあ」、と
いいます。
戦争の悲しさと
何が違うって、
「残された者を、国がちゃんと
助けようとしてくれること」
なんだそう。
「戦争のときは
全部すっかり取ってって、
そのあと、な~んにもして
くれなかった。」
んだって。
電話を切ってから
その晩、
しみじみ思いました。
最近じゃ、すぐに
「国がちゃんと
やってくれないとさあ~!」
など、文句をたれやすい
状況にはなってますが。
ちょっと昔だと、
国が一番、
国民は二番で、
あそこに行け、そして死ね、
などと言われたら、
はい、わかりました。
と、言いなりになるしか
ない時代があったのだ。
本当にあったのだなあ、
と思いました。
そりゃ、頭では知ってたけど。
実感は伴って
なかったんですね。
たとえば
人間が心から反省して、
「いい方向に変わった」、
なんてときは、
音も立たないし
目立たないから、
わかりにくいものです。
私がタバコをやめた
ときですら、
ものすごいエネルギーを
費やしたというのに!
誰も気がつかない。
あ~、気がつかれにくい
ものなんだな!
って思いました。
煙も立たないし
音もない
匂いもない
まるで
目立たないのが
善に変わるときの
特性のよう。
国が私のお父さん
だとしたら、
お父さんは、
まっとうな人間に、
またちゃんと生まれ変わった!
というのに。
誰もそこに触れず、
ましてや感謝など
してなかったかも
しれませんね。
「もっとああして、
こうするべき!
外国はもっと
スグレてんだから、
お父さんのその態度、
服装!古い!ダサい!」
など、要求、反抗
ばっかしてしまってた。
そしていま、
家族中が急に、
深い傷を
負ってしまった。
私たち細胞が
助けあって、
またお父さんと
向かい合いたいものです。
なんだか悲しくて。
何をしてても、
歌ってても、
笑ってても
いまは
すぐに悲しいです。
なので今日は
こんなことを
つらつら
書いてしまいました。
お叱りを受けるかな。
しかし、きのうは
さいたま市の
HMさんからこんな
メールを
いただきました。
「仕事の自粛などせず、
かえって自信と勇気で
思いっきり働いて、
景気や経済を回す。
それが
復興の1番の手助け。
経済の専門家の言葉」。
ですって。
ありがとう!!
励みになりました。
よっしゃ~
頑張ろ~っと!