こんなことがありました。
三谷さんとのラジオ
(J-WAVE・ドコモメイキングセンス)で
私はこう言いました。
「久々に『走れメロス』を
読み返してみたんだけど、
最後の5行あたりでなぜか、
唐突に女性が現れる。
そして「彼女はメロスの裸体を隠した。
彼は赤面した。」みたいに
書かれてるんだけど、
その5行はいらなくないか。
メロス戻った、めでたしめでたし、
でいいじゃないか。
私にはどうしても
女性が最後に駆け込んできて、
あの熱い男の友情の話に
水をさす気がする。
もしかしたら、もともと
「走れメロス」は外国の作品で、
それを訳したとか?
なんか太宰作品っぽくないんだけど。
と。
そしたら、先日、
海外在住のKoheiさんからメールを
いただきました。
ポッドキャストで三谷さんとの対話をいつも楽しく聞いております。
先日、「走れメロス」の話題がありましたが、
原作はシラー(ドイツ詩人)の「人質」という詩です。
最後の赤面については太宰の解釈として
多く語られており、一般的見解は
「メロスがここで第三者からみた "勇者"となった」
ということを表現してるという見方が一般的なようです。
新たな第三者が入り、親友の絆に向かって走ってきたメロスは
周りを勇者と位置づける大切な場面と称してます。
参考までに。
知的、、。ありがとうございました。
腑に落ちました。
ヨーロッパらしい表現ですよね。
人質、というタイトルだったら
教科書に載らなかったと思います。
ちっともシラーなかった。