結婚は淋しさを知る
育った家が
商店だったせいで、
お父さんというもの、
いつも家にいる存在でした。
おかえりー、と
言われることはあっても
「お父さんおかえりなさい!」
と子供が言うことは
ないのです。
大人になり、
サラリーマンと
結婚した私は、当時
(ありゃ、普通な生活って
こんなか、、。)
と思ったものです。
ずうっと隣にいられるよりも
ラクなようでいて、
オットの帰宅をものすごく
待ちわびる一日、という日々が
始まる。
これが長い、、。
正直、帰宅したら
ワー!うれしいという
わけでもない。
特にウチは普段から
テンションが低いので、
会っても特になにを
盛り上がって
話すわけでもない。
それなのに、なんだか待つ。
夕方からはとくに待つ。
そこが大きく見えてくる。
私は今日も待っている。
そういうカンジ
なのです。
それを知ったら相手は
どんなにうっとうしいでしょう。
商売の家で育つ
という環境は、
ずうっとまわりの
大人たち(従業員の方も)が
コドモを淋しくさせず、
甘やかしてくれるので、
後年、一人を
知ったときに、ものすごく
驚くんですかね。
離婚するときに
性格の不一致、
とはよく聞きますが
カコの環境の不一致、
というものは
あまり聞きません。
しかし、この
「知らなかった淋しさに
耐えかねた」
というのが、
本当は
多いのでは
ないでしょうか。