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晩白柚

投稿日:2015年3月7日

数年前、著名人の
離婚会見があり、
別れたい理由のひとつに
「もらいものが多すぎて」
というのがありました。
当時は世間から
とてもさげすまれたものです。
「たとえば、牡蠣とか~、
特別に名産地のいいものを、
たくさんもらうのです。
でも、そのあとの
下処理なんかがとても大変で~」。
「それも恐くなった」。
なんていう。
当然、バッシング
されていました。
しかし、これが
(わからないでもない)、
ってな時がある。
この人は今もって
(まったく正直な人だなあ)、
なんて思います。
せっかくのもらいものに
困窮することって、
案外あるのも事実。
けど、口にしては
いけないような何か。
自分に重いんだったら
捨てればいいじゃないか。
とも思う。
でも、そういう事を
あっさりできる人間と、
絶対できない人間がいる。
私なんか後者。
できそうで、できない。
以下↓の話も
ずいぶん昔のこと。
素晴らしく大きくて美しく
おいしそうな
晩白柚をいただいた。
私はかんきつ類が
大好きなのだけれど、
翌日から海外に行く。
顔の倍ほどはある
このよく育った
美しき果実を、
いったい誰に渡すのが
最良の方法なのだろう。
私のオットはそう果物を
食べるヒトではないので、
しぶしぶ食べてもらうのも
もったいない。
あのコは
そういう果実ではないのです。
パッキングして
海外に持ってくか。
でも、あまりに
デカすぎるなあ。
あの人に差し上げる?
この人は?
などと考えるのだけど、
どの人もまず大丈夫、なのだ。
けれど、それなのに
それを渡す時間をさいてもらう、
ほどではない、というか
恐縮すぎる。
なんつったって、コレは
もらいものなのだ。
結局、私は皮をそいで
海外に持って行く
ことにしたのでした。
スタッフと分けて、
食べました。
一人は
「なんすか、コレ、持ってきたんすか?」。
とか、笑っていました。
笑う気持ちもわかる。
ちょっと恥ずかしい。
でも、せめて
誰かがおいしい、とか
わかってくれたら
いいな~、なんて
希望を持ってる自分が
いてしまう。
そして残る
適度な疲労。
まったくもって
バカみたい。
要はともかく自分を
うまいこと操作する
ことなんだな。
捨ててもいい自分。
食べてもいい自分。
あげてもいい自分。
ともかく自分よ、
どっちみち軽くあれ。
それだけでいい。
それができないと
人生が変わってくる。
悪意も何もない
他者から、いとも簡単に、
さりげなく
操作されてしまうんだ。
そんな気がしたことが
ありました。

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